「ちゃんとしなきゃ」と言われて育った。でも、私は壊れた
私は相対的貧困の4人家族で育った。いじめられていたし、ASDの特性もあったのだと思う。子供時代は、「我慢しなくちゃ」「ちゃんとしなきゃ」とずっと言われてきた。
けれど、学校は怖くて行けなかった。そんな私を見て母は、「施設に願い出るほうがいいのだろう」と言うようなことを口にした。
その日から、学校にも家庭にも「居場所」はなくなった。死にたい気持ちは、その頃からずっと自分の中に居座り続けている。
頑張ったって、意味なんてなかった。そう思ってた
不登校でASDで、いじめられていた私は、なんとか大学へ行けるような学力はなく、いわゆる底辺高校へ進学した。
そこで勉強だけは頑張ってみたけれど、周囲が本気でやらない環境では、どれだけ努力しても「意味がない」と感じてしまった。「ダメなものは何をしてもダメ」——そんなふうに、心のどこかで自分に見切りをつけていたのだと思う。
心の奥に巣くった「どうせ自分なんか」という声は、誰かの期待に応えようとするたびに大きくなっていった。頑張っても届かない。努力しても認められない。そんな繰り返しが、「生きてるだけでつらい」という感覚を強くしていった。
無能扱いされて、私は「誰かの役に立たない人間」になった
高校卒業後、物流業界に就職した。けれど、そこで待っていたのは、挨拶を無視される毎日、12時間労働で月給13万円というブラックな環境だった。
身体を壊し、帯状疱疹を発症。「もう限界だ」と思って、IT業界への転職を目指し、CCNAを取得した。
しかし、就職先はSES。客先常駐の現場では、少しでも「使えない」と判断されるとすぐに契約を切られる。技術を活かす間もなく、私のキャリアはどんどん空白で埋め尽くされていった。
切られる→現場が変わる→また切られる……
このループのなかで、自尊心はズタズタに。自己否定は日増しに強くなり、ちょっとした仕事でもパニックを起こしてしまうようになった。こうして「適応障害・うつ病を抱える私」が出来上がっていった。
誰かの役に立ちたい。認められたい。そんな当たり前の願いすら、「私には贅沢だ」と思うようになっていった。
でも、もしあなたが同じように苦しんでいるなら
ここまで読んでくれたあなたが、もし同じような苦しさを抱えているのなら——
「私は何もできない」「もう頑張る意味がわからない」
そんなふうに感じる日々が続いているのなら、それは決してあなただけじゃないよ。
見えないだけで、声にならないだけで、同じ気持ちで今日をなんとか生きている人が、確かにいる。
それでも私は、ここにいる。 死にたい気持ちとともに、それでも、まだ生きている。
私が少しだけ楽になれたこと
私が少しだけ楽になれたのは、誰にも理解されないと思っていた気持ちを、「わかるよ」と言ってもらえたことだった。
ブログに書き殴ったことを誰かが読んでくれた。SNSで、共感してくれる人とつながれた。そんな小さな出来事が、私をこの世に留めてくれている「理由」になっている。
心の穴が埋まったわけじゃない。でも、ほんの少しだけ、冷たい風がやわらいだ気がした。
今でもしんどい日はある。でも、「あの頃の私よりは、少しだけ心が軽い」——そう思える瞬間が、ほんの少しずつ増えてきた。
最後に:それでも私は、今日、生きている
今でも、「死にたい」と思う日はある。 でもそれは、きっと「死にたい」を通じて、「死なない理由」を探している私の姿なのかもしれない。
私が学んだこと——それは、「人はうまく生きなきゃいけない」なんてことはないということ。
下手でも、不器用でも、自分を苦しみから守るために逃げたなら、それは立派な「生き方」だ。
今、心が痛んでいるあなたがいるなら——「それでも生きている私がここにいる」ことを、伝えたい。
もしもあなたの「生きる理由」が見つからない日があったとしても、 「ここまで読んだ」という事実が、もう、あなたが今この瞬間も生きていることの証だよ。
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